旅館女将のイノベーション(2)

手を振って宿泊客を見送る旅館女将

「旅館女将のイノベーション(1)」で、宮﨑知子さんが代表取締役 女将をつとめる神奈川県秦野市の温泉旅館「元湯陣屋」には、中小企業がぜひ学ぶべきイノベーションがあると指摘しました。

では、そのイノベーションとは何でしょう。

陣屋は今、注目されているDXの先駆けとも言えるイノベーションを行ったのです。
そして、その本質は知的資産経営でした。

DXの先駆け

陣屋のイノベーションは2009年に始まりました。

当時、2億9000万円の年商に対して10億円の借入、6000万円の赤字で、あと半年で倒産という経営状況に追い込まれていました。
今でこそ高単価の旅館ですが、当時は安価な宿に落ちぶれていました。

そのときに、現女将の宮﨑知子さん夫妻が事業承継を行ったわけです(先代女将の子息が現女将の夫)。

事業を承継したと言っても、女将夫妻は旅館経営に縁のない素人。
従業員を見守るしかありませんでした。
しかし、これが自ずと旅館や従業員を注意深く観察することになったのです。

観察から問題として浮上したことの第1は、管理のずさんさでした。

リピーターの情報は当時入院中であった先代女将の頭の中。
予約状況は紙の台帳1つだけで、月々の売上や原価、予算は誰も把握していなかったのです。

そこで、旅館経営の情報を網羅するシステムである陣屋コネクトを自ら開発しました。
経営情報をデジタルデータで管理をすることで、予約状況や原価、在庫の管理徹底、効率化を図ったのです。

問題として浮上したことの第2は、
仕事が属人的で一人ひとりができる業務が少ないうえ、担当以外には無関心な状態であったことです。

そこで、明治天皇が利用したことのある客室を貴賓室と位置づけて、他の客室と別格扱いとし、
貴賓室の宿泊客には、出迎えから会計までひと通りの業務を少人数で担当するマルチタスク化を図りました。
これにより、担当者に成功体験を積ませ、モチベーションをアップさせます。

さらに、貴賓室の接客で得た経験は陣屋コネクトにより全員で共有し、また他の従業員に何度も説明や説得を行いました。

そしてこれに、成功体験を積んだ担当者が宿泊客から喜ばれる姿に感化されることも付け加わり、
従業員全体の仕事ぶりはどんどん変わっていったのです。

こうしたイノベーションを行うことで、業績を立て直したわけです。

そしてこれらは、ITシステムを活用して行われたわけで、これこそ今、注目されているDX(デジタル・トランスフォーメーション)の先駆けとも言えるのではないでしょうか。

イノベーションの本質は知的資産経営だった

もっとも、ITシステムは飽くまでツールです。それによって、何を変革したかがポイント(本質)です。

DXが注目されているのは、それが一部の業務のIT導入による業務効率化にとどまらず、組織全体の変革をも志向しているからにほかなりません。

こうした観点から陣屋の経営再建を見てみると、そこに中小企業が抱える根本的な問題を読み取ることができます。

すなわち中小企業は経営資源、なかでも人が概して少なく、個々の人への依存度が非常に大きいのですが、
そこから派生する2つの問題が見てとれるのです。

第1に、
「リピーターの情報が先代女将の頭の中にしかなかった」ことに代表されるように、個々の人への依存を放置すると、
特定の人にしか分からない、あるいは特定の人しかできない技術やノウハウ(正に知的資産です)ばかりになってしまう問題です。

その特定の人が退職してしまうと、企業から知的資産が喪失する事態に陥ります。
知的資産は競争力の源泉ですから、企業の存続にも関わる大きな問題です。

知的資産を個人から集めて企業へ移管し、企業で蓄積する仕組みをいかに作るかが課題となります。

第2に、
人への依存度が大きいため、企業の成長(生産性向上)が個々の人の成長(生産性向上)に左右されてしまい、
「一人ひとりができる業務が少ないうえ、担当以外には無関心」に代表される状態を放置すると、
やはり企業の存亡にまで直結してしまう問題です。

モノとカネは通常、持てる力の100%を発揮しますが、ヒトはこれが上にも下にもブレます。
逆に言えば、成長の “伸びしろ” があるわけで、丁寧な管理が求められます。

特に問題はスキルとモチベーションで、
スキルとモチベーションを高める働き掛けによって、人材の育成と戦力化をいかに図るかが課題となります。

以上の問題及び課題に対して、
陣屋は、個々人の知的資産を収集して会社に蓄積する仕組み(陣屋コネクトに代表される)を作り、
これを可視化し共用できるようにしました。

同時に、可視化され共用できるようになった知的資産を従業員に浸透させて、人のスキルアップを図り、
またそれによる成功体験の積み上げでモチベーションアップも実現したわけです。

つまり、目に見えない知的資産を可視化し、これをフルに使いこなす知的資産経営を行ったのです。
これこそ陣屋のイノベーションの本質と言えるでしょう。

知的資産経営は真正面から取り組めば、中小企業の経営改善に大いに役立ちます。
それは陣屋を見ても分かる通り、事業承継が成功する道でもあるのです。
1社でも多くの中小企業に、ぜひ取り組んでいただきたいと思います。

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